2014年1月19日日曜日

角海浜





 





突然ですが

角海浜(かくみはま)という場所を知っていますか?




「角海浜」は西蒲区・巻地区の最南端に位置する
四方を山と海に囲まれた無人の小さな海岸です。










五ヶ浜のうぶすめ遺跡あたりから、角海の鳶ヶ鼻を臨む















ピンと来ない方は

「巻原発」と聞くと分かるでしょうか。






原発建設計画にあたり
1996年、日本で初めての「住民投票」が行われた町として有名になり、
当時は全国ニュースでも毎日のように取り上げられていました。




その巻原発計画の予定地、そこが角海浜です。








年々の海岸決壊により道路の崩壊が進んでいる。


角海浜の入口。5年ほど前までは奥にある東北電力角海浜事務所辺りまで
車で通行もできたが、今はこの通り大変危険である。














巻原発の建設計画は
96年に執り行われた日本初の「住民投票」の結果で反対派が勝利、
のち2003年に電力会社から白紙撤回が発表、現在に至る。









昭和44年6月3日の朝。


「新潟日報」新聞朝刊の第一面に

巻町に衝撃が走った。



「角海浜(巻町)に原子力発電所」




この発表のとき
角海浜にはまだ集落があった。

老人ばかりの過疎集落。


















 

在りし日の角海浜の住民を写した写真(写真:斉藤文夫氏)
集落があった頃の角海浜を村の北側尾根(北ノ鼻)辺りから見下ろす。(写真:斉藤文夫氏)


















実は、この原発計画発表時には
すでに電力会社(協力機関)による
角海浜の土地買収は90%近く済んでいて

発表から5年後の昭和49年7月、
最後の村民の移転により
角海浜の村は長い歴史に幕を閉じた。










そして、約40年の経った現在の角海浜。





2007年秋。角海浜中心に位置する鳶ヶ鼻の岩山から、砂山(閉村時まで民家があったエリアの字名)を俯瞰した


「本村(ホムラ)」の海岸。字名の通りここがその昔、角海浜村の中心であったという。
現在は50メートル程の何も無い狭い砂浜である。


「間岸」の隧道付近から角海全景を見る。
「本村」の沖合い200メートルほどの場所には、その昔「ヒカリ」という土地があり、
能登の光浦から角海に逃がれてきた人々は、最初にそこに村をつくった












 

盾岩と立壁の磯。ここより先は磯道が海中に没しているため、進むことが不可能。



民家の跡。写真は何かの調査の一環か、藪が駆られているが
本来は2~3メートル程の篠竹で殆ど一面覆いつくされている















 
 
 
 
  
村が消滅して40年も経った今、
集落の跡地は篠竹の藪に覆われた、
ただの荒れ果てた無人の浜と化している。
 
 
 
 
もはや、かつてここに人々の営みがあったことを
想像することが難しいほど。
 
 
 
 
 


 

晴れた日は多くの釣り人が往来するのが砂浜の足跡でわかる。









ちなみに、私は巻のまちで生まれ育ったが
20代になるまで、角海浜に関しては名前すらをも知らなかった。
夏の海水浴は専ら、当時絶大に人気のあった角田浜であったし、
他に訪れたとしても、越前浜、五ヶ浜といったところであった。

おそらく、巻町出身の方でも10~30代くらいの年齢の方だと
同じく角海を知らなかったという方も
決して少なくないのではと思う。




そんな角海浜ではあるが当時、
最盛期には近郷きっての大村であり、最高で250戸の民家、
寺が4つ(称名寺・城願寺ほか前寺を含む)もあった。
商店や医院はもちろん、樋曽山隧道が貫通するまでは、
山水も豊かだったため紺屋があったり、
回船問屋、毒消しの製造所(滝深家)なんかもあり、
角海銀座と呼ばれる賑やかな通りも存在していた。
おまけに北前船も寄港するほどで(港は無かった)、
そのおかげで、様々な華やかな文化がいち早く入ってきた。







現在の称名寺。昭和前期に角海から巻の町に移動された





北前船が寄港していたことを証明している蝋燭屋の広告と月琴


















































村道。今は篠竹で覆われているが道や
越前石で造られた石橋は、今も薮深くにはっきりと残っている。































しかし天保年間頃より、浦浜一体の浜辺に起こる
局部的な地形現象「マクリダシ※」による、度重なる海岸端の決壊により
村は当時の面積より600メートル以上も海に呑み込まれた。
それに伴い、すでに明治頃から過疎がはじまっていたという記録がある。
昭和中頃には完全に過疎集落と化していた角海の村は、
例の原発計画により、とうとう消滅した。

※マクリダシ・・・
    私は多分ちゃんと見たことがないが、数十年に一回程度起こる高波の一種らしい。
     しかし、角田の一部の漁師は、「離岸流」のことをマクリダシと呼んでいた。
    当時の海岸決壊については詳しく分からないことが多い。








海岸決壊によって崩落した斜面は高い部分で約10メートルくらいの高さがあり危険







 
また、角海浜は猫の額程の面積しかない土地に
民家等が集中していたたため、狭い敷地には田んぼもなく、
農業を仕事に持つ人は少なかった。
そして、海岸集落でありながら不思議と漁師もあまりいない。
仕事の多くは大工などの出稼ぎ業がほとんどで、
それから派生して「毒消し売り」の行商が誕生した。
まさに角海浜が「越後毒消し丸」の誕生地である。




そして、角海の海岸は
「鳴き砂」海岸でもあった。


残念ながら、「新樋曽山隧道」が貫通した頃くらいから
砂浜の汚染が進んでしまい、1960年代頃に入ると
砂が鳴くことはなくなったという。
しかし、隣村の五ヶ浜の住人の話を聞くと、
当時、五ヶ浜から浜づたいに長浜を歩くと
角海のあたりでは当たり前に砂が鳴いていたという。

また風が吹くとキューキューと浜が鳴くほどで
鳴き砂の研究者の調査では
本来、角海の鳴き砂は日本列島の中にある鳴き砂の中でも
群を抜くほど純度の高い鳴き砂であったというから
なおさら驚きである。









角海に通じる長浜。五箇の浜は砂鉄が多いため鳴かなかったというが、角海へ進むと鳴り出したという








巻文化会館大ホールのスタインウェイのピアノは角海浜の閉村記念として寄贈された。その名も「鳴き砂」。
ピアノの内側に名前が入ったプレートが取り付けられている。










 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
ここで述べたのは角海のほんの触りの部分ですが
やっぱり少し変った運命を辿った村であったのが
分かると思います。
 
 
 
 
 
 









私は学生の頃にこの村の存在を知り、
この村の在りし日の風景が見てみたいと
ずっと熱望していました。













そんなときに出会った一冊の本










「角海浜物語」斉藤文夫氏/著































何と言いますか・・・

純粋に貴重な写真の数々に圧倒される。

稚拙な言葉でくどくどと説明をするより
この写真集は本当に多くの方にとにかく見ていただきたい。

記録性にしっかり重点を置き、
時代の移り変わりを交えて、村人をかなり近い距離で撮影されている。
想像をはるかに超えて濃い写真の数々。




早い段階から過疎に陥っていた角海の集落。
一つの村のが原発建設をきっかけに
時代に翻弄されている様子。
そして長い歴史のピリオドを打つ。
それって一体どんなことなのか。

生まれ育った地を抗えずに、
ただ去ることを強いられた
老人たちのありのままの姿。

もう決して戻ることのできない
村の在りし日の角海をまとめた一冊です。





そしてこの本の著者であり
まだ写真が貴重だった時代、
巻との往来も大変出会った角海へ、
峠を越えて通いつづけ、
村を撮りつづけてきた斉藤文夫さん。




写真家・郷土資料研究家『斉藤文夫』氏






今後、角海の語り部である斉藤さんのお話や
斉藤さんの暮らす、角海に程近い福井集落についても
このブログで紹介させていただきたいと思っています。






 




 

 












 











2014年1月5日日曜日

角田浜のお正月

新年早々






角田浜へお邪魔した。








角田浜では正月になると

新年の挨拶のときに親戚の子供たちが書初めをし、

親戚のところに持っていく。

それを受け取り、部屋に飾り

はじめて子供たちにお年玉をあげるのだそう。








もちろん家それぞれだけど、

そんな風習がいまでも少しは残っているという。



確かに自分が高校のとき

角田に親戚を持つ友人が、お年玉もらうために

毎年習字をするといっていた。





おでんに蛸



ホッケ


佐渡で有名な「ながも」



しめに味噌ラーメン




角田の茶屋が53軒並ぶ頃の写真を見ながら

昔話に花を咲かせた!















つづいて、




夜は巻の中吉川AP(アパートメント)へ






「中吉川AP」の活動メンバーを中心に

10人以上の参加者が

それぞれ料理を持ち寄って集まり、






遅くまで、食べて!飲んだ!
















朝。




6:00







中吉川さんの駐車場に車を取りにいくため

まだ、薄暗い外のまちを歩く。









冬のキリッとした空気



まだ、街灯の電気がついている





「静」の空間。



いつも歩いている、見慣れた景色でも


蒼いフィルターを通して見るような幻想的な感覚。





刻一刻と、空の色が変っていって

一瞬一瞬が短くて

全てを、ケータイカメラに収めておきたくなるほどキレイ。







薄暗い闇のなか、ぽっと

民家に少しずつ温かそうな光が燈り始め

まちが少しずつ動きだしていく感じ。





夢中になりすぎて

西川の土手の方まで歩いていた。






朝の早起き。

何だか、すごく得した気持ち






2014年1月3日金曜日

新年

新年おめでとうございます。


今年も巻の浜集落の様子をマイペースに紹介していきます。





巻漁港から角田岬を望む






茶屋の玄関には松飾が立てられている







本当は、今の時期なら

浜集落の人たちが、どんなお正月をすごしているのか、

どんな風習や慣わしが今でも残っているのか

そんな民俗学的な部分で、じっくりと浜集落に近づきたかったのですが

まだまだこれからの課題です。

来年のお正月はもっと、深い部分に密着できたらと思っています。





さて今回の浜の様子。今日は巻漁港です。



帰郷した友人に冬の日本海の魅力を知ってもらうべく

402号線を車で走っていた途中に、少しだけ立ち寄りました。











べつに




おいしい番屋汁を食べさせたわけでもなく








防波堤。



ただ、防波堤を歩くだけ。











ノリに押されて、
初めて沖の方まで防波堤を歩いて行ったけれど



感想は、ただ、


怖っ、怖かった・・・・・・・・・・・・・。







道幅が狭くて、


正味50メートル程の序盤の道のりは


ホントに恐怖だけ。








防波堤を歩いている途中、




左を見ると、

見たこともない角度の角田岬が見え、
それが何か、不自然過ぎて、怖い。



右を見ると、

足元のずっと下に港内が見え、
非日常すぎる景色。




後ろを振り向くと、
ずいぶん先に進んでしまったことを
嫌でも確認してしまい、後に戻れない不安。



ただ正面を見ていても、
左手側に異様に激しく上下する波が
目を閉じないかぎり、絶対に目に入ってしまい。



度々、

頭がパニック気味に。




一番よい切り抜け方は

「怖い、怖い、怖い・・・・・。」と
声を出すこと!!


気が多少紛れて
幾分、恐怖から開放された。








で、

ようやく防波堤先端にたどり着いた。












結構、いいじゃん!

キレイじゃん!









でも





本当はもう行かなくてもいいかも・・・。












そして、

お正月だから



漁船も




番屋も


やっぱり、どこも、松飾。

漁師にとって、船も、船小屋も
どれだけ大事なのかが良くわかる








さて、

新年一発目のブログなぜ写真がモノクロか。




それは、写真家「田村収」氏より

モノクロ写真のカッコイイ年賀状が送られてきたから。


プロが撮るアナログ写真をみて
モノクロ写真っていいなあと思い、
浅はかに真似する、その無謀さ・・・

愚か。


ですが、しばらくは練習で色を省いたモノクロの写真で

浜集落を紹介します。




歴史的な町並みや建築物を撮影されている
写真家「田村収」さんの写真。
また見に行きたい!

私が観て、とても良かった写真展↓
 http://www.ayumi-g.com/ex13/1331/kikaku20web.html

田村収さん過去の写真展↓
http://www.ayumi-g.com/ex13/1308.html